昔を振り返ってみた

みなかさんほどではないですが、僕も昔は苦労しました…w

20代半ばくらいが地獄でしたね。軽く振り返ってみることにします。


新卒(2010/04~2011/07)

新卒で某SIer(H社)に入社したのがキャリアの始まりでした。


楽しいのは研修期間の3ヶ月のみ。毎日飲んでましたw


俺の誕生日だから来いよ~!とか言っちゃう自意識過剰系の人もいっぱいいて、それはそれで面白かったんですが、会社の看板がデカいのでそれで天狗になっちゃう人が新卒の段階でチラホラいたのが印象的でしたね。


研修期間が終わって、配属面談がありました。

一応希望は聞かれるものの、すでに配属先は決まっていて完全な出来レースでした。

面談でいきなり「〇ポイントカード興味ある?」って言われましたからねw


で、配属されて〇ポイントカードの案件かと思いきや、横浜の工場に飛ばされて、LANケーブルが天井からぶら下がっているような信じられない環境の中開発してました。

普通にネジとかボルトが入ったケースが席の近くに置いてある。

自分が何の仕事をしているか分からなくなりそうでしたw


本社は都内なので、たまに本社に帰らないといけなかったり、半ば強制の社内イベントに参加させられたり、新人ということで飲み会の幹事したり…


所属部署の人数が50人以上だったのですが、僕が客先常駐と分かっていながら、飲み会の参加可否を聞いて回ったり、ビンゴの景品買ったり、経費で落としてもらうための申請書を書いたり…

エンジニアの仕事なんて1割くらいなもんでしたw


証券会社への常駐が決まったときは上司に苦労しました。


設計、実装レビューを受けたときに「どうしたら直ると思う?」とか無表情で平気で聞いちゃうタイプの人でしたw


考えさせるのが上司の役目と思ってたみたいですが、当時は技術的な引き出しなんて0でしたし、ネット検索の要領も悪い。

どう探せば答えに行き着くか分からん…つらいなぁ…て感じでした。


そんなこんなでH社に愛想を尽かし、エンジニアをやめることにしました。


当時は「エンジニアなんてやるもんじゃない。向いてないわ」と思い、強烈なトラウマになっていたので、エンジニアとして転職しようなんて微塵も考えていませんでした。


飛び込み営業(2011/07~2011/12)

で何をやったかというと、飛び込み営業のバイトでした。乳製品やネットスーパーの定期宅配を契約する仕事です。

未だになぜその仕事をしたのか理解に苦しむのですが、当時はとにかく逃げたかったんでしょうな。


そのバイトは完全出来高制で1件の契約で2000円+件数に応じてボーナスが入る給与体系でした。

バイトを続けていくうちに、個人宅・法人を約100件回らないと1件の契約が取れないことが分かりました。きっつーw

結局1日400~500件くらい回ってましたね…ヤバい奴だよ絶対。


しかも、エリアは自分で決められないので、日によって難易度が変わります。


都心になるほど住民が警戒するので成約率が下がります。

ただし訪問先はいっぱいあるので足で稼ぐしかない。

都心から外れるほど成約率が上がります。

ただし建物と建物の距離が離れていたり、そもそも訪問できそうな場所が少ないのもあって、違った難しさがありました。


この仕事のおかげで腹筋はバキバキに割れ、エンジニアには全く不要な「筋肉質なふくらはぎ」を手に入れましたw 何やってんだよ…


一日だいたい4~5件の契約は取れていたので、ギリギリの生活はできていましたが、ずっとこの仕事を続けるイメージは湧かず、半年くらいで辞めました。


ひたすらバイト(2012/01)

その後は派遣のバイトをちょいちょいやってました。

大学を卒業して社会人として上京して、まさかまたバイトをやるとは…。


冬の早朝の倉庫でピッキングやトラックへの荷物搬入もやって汗だくになって風邪ひいたり、

印刷工場で冊子にチラシ差し込む作業をやって指先が真っ黒&シワシワになったり、

六本木のレストランで某芸能人に料理出したり、

埼玉の北の方まで行って、某デパートのバレンタインコーナーを男数人で設置したり…


まだまだありますが、とにかく色んなことをやりました。


警備員(2012/02~2012/03)

そして、派遣のバイトをやめて警備員の仕事をすることに。


当時は、1日8000円を安定してもらえる仕事のありがたみを痛感してましたね。


警備員の仕事は3~4ヶ月くらい続けたのですが、いろんな人がいました。

自分の会社が倒産してしまった人、ゴジラの監督の息子だと言い張る人などなど…。


印象的だったのは、会社をリストラされて警備員を3年ほどやってたら、ブランクありすぎてどこにも転職できなくなってしまった…という人がいたことです。


この人には申し訳ないですが、その人の存在で目が覚めました。


このままだとどこにも行けなくなってしまう。エンジニアに戻らないと、このままズブズブいってしまう…!!

と強烈な危機感を感じました。


エンジニアとして復帰(2012/04~2013/01)

そして、しぶしぶエンジニアに戻るわけです。

転職先は零細のITベンチャーでした。家族経営のようで、役員はほぼ社長の身内。


いつまでも試用期間、基本給めっちゃ少ない、得体のしれない手当など…

色々と問題はありましたが、技術的なスキルはここでみっちり鍛えられました。


業務システムの開発はVB.NET+SQL Serverが基本構成で、とにかく長いストアドプロシージャを書くのが特徴的でした。ホントえげつない行数でしたw

それを解析する過程でDBに興味を持つようになり、ちょっとずつ開発の仕事が楽しくなってきたのを覚えています。


PMの人も一癖あったし、明らかに社長が女性社員を優遇しているのはバレバレでしたが、そんなことはそっちのけで僕は開発に没頭していました。

稼働時間は全く気にしてなかったですが、23時くらいまでは毎日残業してたかも。


当時僕より3歳年上の主任の方にとてもお世話になりましたし、

キャラの濃いドイツ人(めっちゃ会計知識があって、日本語ペラペラ)

キャラの濃い帰国子女(会社の意向でベトナム出向になりました)

PHPが得意な角田〇朗似の先輩

吊り上がったメガネをかけた若手女性社員

サイバー〇ージェントの採用担当にいそうな若手女性社員(なぜこの会社を選んだのか分からない)


など、人に恵まれたのもあり、楽しくスキルを磨くことができました。


心残りなエピソードに「自社製品のプレゼン大会」があります。あれは悔しかった。

社長の鶴の一声で、自社製品のプレゼン大会を社内でやることになり、毎朝一人ずつプレゼンする時期がありました。

自社製品を売り込むスキルをつけるのが狙いだったようです。


投票の結果、僕が票数が一番多く、社長賞をもらえる…予定だったのです。


しかし、社長が主任に「お前が一番じゃなくてどうすんだ!」と叱責され、なぜか主任に社長賞が贈られましたw なんで???

理不尽すぎてポカーンでしたが、こういった出来事がこの会社を去るきっかけになっていきました。


フリーランス(2013/02~現在)

2013年2月、技術力に自信がついたところでフリーランス転向を決意しました。

きっかけになったブログは↓です。

振り返ると意外と長いですね。年を取るってこういうことかw


総括

苦労している間は辛いけど、いつか打開できると信じて先を見据えて行動すれば、何とかなります。

もっと生々しい話が聞きたい人いましたら、セミナーで語りますw

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